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金曜日の自転車たちへ

2013年11月28日 4:26 PM

 婦人用自転車は1880年代から存在した。明治~大正の女学生は通学用自転車がステイタスだった。女性と自転車の関係史を辿って下れば、1970年代の、いわゆる「ミニサイクル」についても触れねばならない。

太目のU字型フレームに20インチ小径タイヤとアップハンドル、前輪上部に針金製バスケットを装着した、いわゆる「ミニサイクル」は1965年に登場し、70年代には女性用自転車の定番となった。各メーカーが競って同型車種を発売し、ピーク期の1973年前後には全販売台数の約1/3がこのタイプだったというから、相当数の男性も乗っていたはずだ。

佐野裕二の指摘では、都市近郊ニュータウン拡大とミニサイクルの販売伸長期には関係があり、つまり政府の持ち家政策に伴い開発された郊外住宅地においては、従来のインフラ・公共交通のキャパシティでは急拡大した住民の日常生活に必要な移動は充たせず、手頃なヴィークルが求められた。日常の買い物のための商店街へは徒歩では遠く、バスでは不便、自転車に頼らざるを得ない。そこへ気軽に乗れるミニサイクルが手頃な価格で登場、という事情があったのだ。

郊外住宅地の主婦と自転車の関係は日本の自転車文化史をたどる上でのキーの一つだ。

ファッション性を意識した実例の一つに、1971年に日米富士(現FUJI)から発売された、ピエール・カルダンの名を冠したミニサイクルを挙げよう。その後も脈々と市場に送られる、デザイナーズブランドを冠した自転車の嚆矢。とはいえ、婦人向けと銘打った多くの製品では「ピンクや赤、花柄を女性は好むはず」というレベルの勘違いがあり、サドルやタイヤサイドに花弁柄が点々とプレスされていたり、前カゴやリアキャリアがアラベスク風曲線だったりしたものだ。つまり白物家電と似たセンスですな。「オバさん主婦はおしゃれになろうと頑張るほど派手に、かつダサくなっていく」という法則にミニサイクルも絡め取られていったのか。

余談だが、今や伝説と語られる(初期の)「an an」で、11pに亘り自転車特集があった事は特筆ものだ(197310/25号)。当時の女性ファッション誌では珍しい企画だったが、それまでも同誌グラビア頁でしばしば自転車が小道具に使われていたから、編集サイドではそれをファッショナブルなアイテムとして捉える視点を持っていたのだろう。ただし同特集ではミニサイクルはごく控えめな扱い。つまり同誌のスタッフの眼鏡にはそれが魅力的には見えなかったのか。そのan anが約30年後、ミヤタとのコラボレーションでママチャリを世に送り出す事になるとは、神のみぞ知る運命。

 1976年に「ラッタッタ」ことホンダロードパル、翌年にヤマハパッソルが発売されて以降、主婦のヴィークルとして原付ミニバイク/スクーターも目立つようになった。198283年の「HY戦争」と呼ばれた原付スクーター投げ売り合戦がその傾向に拍車をかけただろう。もはやユーザー多数派として無視できない女性向けにはA.クレージュやパーソンズなどデザイナーズ仕様も発売されたし、花柄シートもあった。10年前のミニサイクルを踏襲している!?

 

その終戦直後(?)に、ニュータウンに住む団塊世代を描いたTVドラマが放映開始される。「金曜日の妻たちへ」(TBS、木下プロ、1983年)。特に第3部「恋におちて」(1985年)は大きな反響を呼んだ。

舞台は東京都町田市つくし野、東急田園都市線沿線のニュータウン。エスカレーター女子校の同級生4人の友情を基調に、四十代で子を持つ母でありながらも働き、恋し、女性として輝き、オバさん臭さ皆無の垢抜けたライフスタイルを印象付けたドラマとして記憶される。

登場人物たちの愛車はプレリュードやシティ。80年代のホンダのクールで都会的イメージがドラマの雰囲気とマッチしていた(実は単に番組スポンサーだからでしょうなあ!?)。しかし、4人のうち唯一の専業主婦で、最もトロいキャラクターという設定の、森山良子演じる法子が自転車で住宅地の坂道を、息を切らせて立ち漕ぎする場面がしばしば映される。つまり「自転車=専業主婦=お洒落じゃない」というネガティヴなイメージの表現だろう。婦人用軽快自転車はこういうイメージと化したのだ。法子はHY戦争の恩恵に与らなかったのか。彼女と奥田瑛二演じる年下男との釣り合わない恋にピリオドが打たれるのはシティ(20歳代向けに開発された1ℓff2ボックス車)の車内、というのも象徴的。

ドラマの放映開始は19859月。奇しくも同じ月、ニューヨークのプラザホテルではG5による、いわゆる「プラザ合意」。これがバブル景気の引き金となった。彼氏のVWゴルフやFFファミリア3ドア(色は赤)のカーオーディオで「Surf & Snow」「A LONG VACATION」を聴いていたニュートラ世代の女子大生たちは既に実社会に出て、企業の新人社員あるいは新婚さんの頃。この年に成立した男女雇用機会均等法を背景に、年齢は重ねてもファッショナブルに暮らし、働き、「自分ができる限り最高のことをしようとする世代」(*)として生きる、そのライフスタイルの基底には、あのドラマの登場人物たちの影響がありそうな気がする。ということはつまり、彼女たちの潜在的認識では、自転車は法子のようなオバさんの乗り物なのかな。彼女たちだって小~中学生時代にはミニサイクルを乗っていた事があるはずなのだが。

「恋におちて」の2年後、「男が泣かない夜はない」(フジ、1987)では、伊藤かずえ演じるビデオマガジン編集者がデイパックを背負い、マウンテンバイクで都心を駆ける姿が時代の先端スタイルとして描かれていた。このあたりで日本の自転車文化史は大きな転換期を迎えたようだ。マウンテンバイクがトレンディなシティ・ヴィークルとして注目され、これに飛びついたヨコ文字ギョーカイ君たちは少なくない。今に至るスポーツサイクルブームの発火点は、実はBMWやアルマーニやローレックスが幅を利かせていたバブル景気期の街角だったのだ。

一方でオバさん用自転車も進化する。既に婦人用自転車の主流はミニサイクルから2627インチ車に移り、いわゆる「ママチャリ」の名が定着。大阪では「おばチャリ」と呼ばれ、90年代になると、その大半に「さすべえ」が装着され、見かけはさておき、少なくとも実用性は向上(?)。

1993年、ヤマハが先鞭を切って電動アシスト自転車「PAS」を市場に送り出し、追ってホンダ・パナソニック・サンヨーなどからも発売されると、次第にシェアを広げ、やがて主婦ヴィークルの主流となる。反比例して原付スクーターの販売台数はジリ貧となっていったから、つまりは電動アシスト車はラッタッタの後釜という一面もあるかもしれない。

世紀が変わると、ニュートラ世代の後輩であるポストバブル世代が母になった時代。彼女たちは幼児を同乗させる電動アシスト自転車だってデザインコンシャスでなければならない、という意識に至る。

アラフォー向けファッション誌「VERY」とブリヂストンサイクルとのコラボレーションによる電動アシスト自転車(当然、幼児用シート標準装着)の発売は2011年。同誌の編集長は誰あろう、70年代末にニュートラ流行の火付け役・旗振り役を務めた「JJ」誌元編集長N氏だとは、社会の潮流の変化を感じるではないですか。

自転車は時代のトレンドに乗って40年来の宿願を果たし、ついに「ファッショナブルなヴィークル」の座を手に入れた・・・のかな?

現代の法子さんはもうニュータウンの坂道で息を切らせる必要はない。ただ、彼女のキャラからして、充電を忘れる可能性も心配されるが・・・。

 

*伊藤理佐「オトナになった女子たちへ」朝日新聞201369日付より

 

参考文献

鎌田敏夫:金曜日の妻たちⅢ;恋におちて。角川文庫、1986

佐野裕二:自転車の文化史。中公文庫、1988

小特集秋は自転車に乗って;an an 19731015日号。平凡出版

特集電気自動車は快走するか;日経エコロジー2009年3月号。日経BP

升谷富士子:こんな女に誰がした。モード学院出版局、199


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